第35話「死なないジジ・フラグ(3)」
リクセントの東部ゴート海岸とその上空を蛇の団が包囲していた。
この攻囲がいつの間に完成したのか。
ルーク・フェニックスは思案を巡らせながら海岸線の防波堤の上をを歩いていた。
「ルーク殿この様な事態にどうなさりました?」
海岸線に敷かれた防衛線の監視をしている兵が話しかけてきた。
ルークは背筋を伸ばし、無言で敬礼をした。
兵は焦ったように敬礼を返す。
「貴様は何故その質問をした?」
「は?」
「何故か」
「・・・・・・」
何となく質問をしてしまったという体だったのだろう。
兵の顔色が曇り、居心地が悪そうに目を伏せた。
「貴様は実戦の経験は」
「有りません」
「恥じる事は無い」
「この国の軍人のほとんどが実戦を経験した事が無いのだ」
「私はこの様な事態で何をしたら良いのか分かりません」
はっきりと言うものだ。
「ならばこのルーク・フェニックスは答えを持っていると?」
「では無いのですか?」
「持っている」
「戦うだけだ」
「それは」
「このルークの闘争と貴様の闘争では規模が違う、しかし同じ目的のために戦うことだけは事実。俺はこの俺に課せられた責任を果たし、貴様も課せられた責任を果たすのだ」
「それでは答えになりません」
「考えよ。考える事から逃避してはいけない。それは生きる事から逃避する事と同じだ」
「・・・・・・・・・」
「ルーク殿は死ぬという事は恐ろしくありませんか。私は震えが止まりません」
「ああ、恐ろしくは無い」
「強いのですねルーク殿は」
「しかし貴様は恐ろしいのだろう?」
「はい」
「死の孤独は恐ろしいか?名も無き兵として戦場に骸を晒すのは恐ろしいか」
「はい」
「しかし貴様は孤独ではないのだ。貴様がたとえ死んだとしても嘆く友は居る。そして貴様は友が死んだとき嘆く心を持っているはずだ、それが有る限り兵は孤独ではない」
「はい」
兵が肩を震わせながら慟哭していた。
「泣くが良い。人は悲しいときには泣く、物ではないのだ」
「・・・・・」
嗚咽交じりに兵が頷いた。
「行け、貴様は貴様に課せられた責任を果たすのだ」
ルークは改めて背筋を伸ばし、敬礼をした。
兵は背を向けると己の軍務に戻っていった。
「若い兵だったな」
ルークは言った。
顔など覚えていない。
ただ目を見ていただけなのだ。
怯えに曇った目から一人の男に立ち直っただけ。
ただそれだけなのだ。
その日の昼過ぎルークは騎士庁の団長室へ戻っていた。
部屋のソファーにはユウジ・ミヤシロが腕を組んで待っていた。
アリス・リデルから実力を聞き、リクセント公国騎士団へスカウトした人物だ。
彼女はリクセント警備部隊隊長を歴任した血族の末裔であり、彼女の伯父とは組織を超えて交友があった。
その彼女からユウジ・ミヤシロには人柄と人格に由々しき問題があり、到底伝統ある騎士団へ似つかない人物ですよ?とこめかみに青筋立てて注進された事を覚えている。
これからの軍のため優秀な将校を育てる時間は惜しいが、本当に優秀な人材はどの軍も手放すはずが無い。
背に腹は代えられない実情が在ったのだ。
「ルーク殿、どこへ行っていたんだ?」
「歩いていた」
「このような事態に気楽なものだ」
この男は相手の身分に関わりなく言葉遣いが悪い。
乱暴で傍若無人だが、部下を持たせると驚くほど見事な指揮をする。
この男の調練は厳しく、兵に憎まれながらも頼られる存在だった。
人柄が悪く言われる事自体、この気性を言葉に表し辛い故だろう。
戦人とは無骨な男の集まりであるルークはそう思っている。
「全くだ」
平然とルークは答える。
ユウジは舌打ちをした。
気楽とは良く言うものだ。
そんな愚痴すらこぼしたいのだろう。
「俺はこの包囲自体おかしい物だと思っている」
「何?」
「百戦錬磨の戦人スネークマンの戦ではないということだ」
「・・・・・俺には分かんネェ。あんたらオッサンがスネークマンにどのような感情を抱いているかも含めて」
「奴が本気でリクセントを潰す気ならば包囲などせず一気に攻めていただろう」
言い淀む事無くルークは言った。
「まず奴にとって煩い存在である俺たちは真っ先に抹殺されたであろうな」
「そんな事はさせねえ!」
「しかし誰も包囲に気付かず、地から湧き天から降ったよう奴等は現れた」
「・・・・・・」
「奴は奴として戦をさせ貰えていないのだろう」
「それは矛盾してるじゃねえか、アンタの言うスネークマンの像と」
「ああ」
「ああってな!」
「貴様に言っても仕方が無い事なのだがな」
ルークの思案するしている顔には測りかねる冷たさが在った。
命を命と見ないような仄暗い寒さを感じる。
ユウジはどうしてもこの男を好きになれなかった。
「奴の背後に他の組織・・・・・・・いや、人物が居るのだろうと俺は読んでいる」
「それで包囲されたままの膠着状態が続いていると?」
「貴様に話してもやはり仕方の無い事か・・・・・・・・」
だがそれで良いのだと思う。
現場を仕切る以上自分は目の前の事にのみ意識を向けるべきなのだ。
「貴様には分からんな・・・・・・・スネークマンを説き伏せた人物が居ると言う事実の恐ろしさを」
「目の前の敵を潰せなくて言う台詞じゃねえよ」
「ルーク!ルークフェニックスはいやがりますか!」
ルークは部屋の外から発せられた可愛らしい声を聞き、素早く椅子から直立した。
「はっ!」
部屋の扉が開くとシャイ・ンハウゼンが部屋の中に剣幕を変えて歩み寄る。
彼女の隣にはルダール卿と騎士団総長ナンド・ボンダンフェルドが二歩下がって立ち、その後ろにはラトゥーニ・スボゥータが立っていた。
ルークは無言で敬礼をした。
「姫様どうなさりました」
「私が聞きたい事は二つ有ります」
腕組みをしながらルークを睨むのだが、生来の愛くるしさゆえ、行動の一つ一つが可愛らしい。
「姫様、どうかお席にお着き下さい」
どうぞ、とルダール卿に誘われてシャインがソファーに身を委ねる。
後ろに立つナンドは直立した姿勢をそのままにしている。
上官が座らない以上、ルークは立ったまま話を聞いた。
「よろしい」
「ユウジ、ハーブティーが有った筈だ淹れて来い」
「げ?俺が」
「誰も貴様に淹れて欲しいわけじゃない、メイド長のエリー殿へ頼め大至急だ」
ルークは、自分の主人であるシャイン・ハウゼンに対して無礼を行った者に対して容赦をしない。
以前ユウジはシャインに対して不遜な言葉を使った罰として重営巣送りにされたことがあった。
主従の関係を知らなかったユウジとしては今だに納得できない事だったが、この男は自分の主人のためなら平然と人を殺すのだろうと思えた。
「分かったよ」
ユウジは「エリー婆さん」と呼んでいる老女の姿を思い出した。
礼儀作法にうるさく、杖を振り回す危ない人だった。
リクセント公国騎士団に入隊し、この施設に出入りするようになって出会った人だ。
俺がリクセントに来て初めてやらされた事が、礼儀作法の教習だった。
言葉遣いが悪い、気品が無い、字が汚い、目つきが悪い、舌打ちをするな。
様々な事を言う婆さんだったが、字を書くときに添えられた手は暖かかった。
口うるさい婆さんに茶を淹れる事を頼む問答だけでどれ程時間が過ぎるのか、それを考えると憂鬱だ。
「姫様、大したもてなしも出来ませぬがご容赦ください」
「ルーク・フェニックス騎士団長、貴方会議にも出ず今までどこへ行かれていました」
「ゴート海岸の防衛線の視察へ参っていました」
「そうですか。」
「姫様・・・・・・・何度も申し上げますが、姫様が戦場に立つなど二度と認めません」
遮るようにルークが言った。
会議に出ず、防衛線の視察に行ったんなど白々しい言い訳で、この男は会議の時に主人から聞かされる出撃を拒絶する事に対する叱責と小言を聞く事が嫌だったのだ。
「言う前にいうではない」
「ルダール殿からもその点は御注進なされていたと思いますが」
「姫様・・・・・・騎士団長のルークも姫様のご出陣は控えて欲しいと言っているでありましょう?」
頭を垂れながらルダール卿は言う。
うっ、と呻きにも似た声をシャインは出すと、後ろにいるナンドに顔を向けた。
「爺では駄目ですか・・・・・ではナンドよルークに申し上げなさい」
「姫様は何があっても戦場には立たせないつもりだ、安心せよルーク」
「ハッ!安堵いたしました」
シャインがソファーの背もたれから身を乗り出しながら言った。
「くぅくく〜!ではラトゥーニ!そなたからこの不遜なおっさん達を説き伏せなさい!」
「ですからシャイン王女、皆出撃は控えて欲しいと言っているではありませんか」
「国の一大事でありましょう!闘える者が黙っているわけには参りません」
「姫様の身に傷でも付けようものなら、このナンド先代様の墓前で何と申せばよろしいか?」
「ぅ」
この話が出るとシャインは弱い。
父親であるハウゼン大公に対して絶対の忠誠を誓い、信任も厚かったゆえハウゼン大公の話の聞き役にもなったりしていた。
自分を戒める際父親がどれ程身を案じていたか、という話が出ると耳が痛かった。
「先代様が崩御される以前、私に姫様の事は成人するまで頼むと申されております。むざむざ姫様を死地に送り込むことが出来ましょうか?」
「主命でありますよナンド!」
「私が受けた言葉も主命であります。姫様が成人なされ御当主にされれた暁には先代様の主命を下げて頂いても結構」
「三度・・・・・・・・三度我がリクセントは脅威に晒せれています、今回の侵攻を許せば民意は荒むばかりです」
「・・・・・・・」
「民の為に己の血を流す事をいとう事が王族の裔たる者のなさる事か?」
シャインの問いに皆黙った。
目の前にいる小さな少女は確かに自分たちの主人なのだと思った。
この国の礎を築いた荒ぶる王たちの血はこの小さく可憐な身体に身体に流れているのだ。
ルークは喉まで出掛かった言葉を飲み込んでいた。
「姫様、共に戦いましょう!」そう言えたのならばどれ程楽か。
ルークはシャインの駆るフェアリオンの傍らで自機を駆る姿を想像した。
快感にも似た興奮で肌が粟立った。
それは騎士としての誉れだった。
死んでも良いと思う。
「なりません!」
ナンドがはっきりと強い口調で言った。
「ではナンド!私もこれから貴方が病床を押し戦闘へ参加する事を認めません」
「姫様!」
ほぼ悲鳴にも近かった。
「後生です姫様!それだけは」
「・・・・・・また来ます、それまでに良い返事を考えなさい」
シャインが立ち上がると振り返らず、部屋から出る。
「姫様!」
「ナンドのジィ・・・・・・私は貴方を死ぬと分かる戦場へ出したくはないのです」
「ナンドのジィ・・・・・ですか、総長がその様に呼ばれるのは久しぶりに聞きました」
「儂も久しぶりに聞いた」
力無くナンドはソファーに寄りかかった。
目を閉じている。
皺だらけのこの老人が鋭い眼光を放つ目を閉じるとただの老人という体になってしまう。
ルークにはこの老人がまぶたを閉じて思案するときにはシャイン王女の事しか浮かばないのだろうと思っていた。
ナンドがルークに何度も「恐れ多い事をしてしまった」と言い見せるのは幼いシャイン王女が笑顔を向けながらナンドに抱えられている写真だった。何度も何度も見せるため、「恐れ多い」とは言いながら本心では自分の主人を溺愛している事が良く分かった。
「しかし・・・・・・姫様は立派な棟梁へなられましたな」
「貴様、共に戦いたいと言いたかった事を堪えていただろう」
ナンドが薄っすらと目を空けながら言う。
追求するわけで言ったモノではないと分かった。
「申し訳ありません」
「よい、儂も人の事を言えた義理ではない」
自嘲気味にナンドは笑った。
行動の一つ一つが洗練され、所作の一つを取ってもルークには憧れに近い感情を抱いた。
憧れているのだな。
幾度も実感していた感情を噛み締める。
今でこそ萎れた花の様な印象を与える老人だが、四年前病で床に伏せるまでは新兵の調練に参加し、騎馬の手本を見せ、手綱を使わず足だけを荒馬を乗りこなしていた。
その果敢さに新兵は驚き、その後の調練の厳しさに泣いた。
歴戦の武将という言葉が相応しくまさしくそうだった。
ジジ・フラグや自分が戦場で活躍する遥か以前から傭兵として世界各地の戦場を往来し、数々の華々しい戦果を挙げていった。
メイディアに対する露出も嫌いではなく自分が少年の頃はTVのニュースでインタビューに答えるナンドの姿を幾度か見た。
ただの戦争屋でない事を知ったのは十二歳の時、ナンドがイギリスの出版社の協力を得て一冊の本を出版していた。
友人から借りたその本を擦り切れるほど読み、自分で買ったがやはり擦り切れ、修復しながら今も生家の本棚に在る。
故郷を想う言葉や、戦争を憂う言葉、憂いながらも戦う本能を否定しない言葉、幾つもの心に響く物が在った。
二十年前、永年に渡る彼の功績が認められ、ハウゼン大公の強い推挙によって彼は不法出国の罪を赦され、リクセント公国騎士団への復隊が認められた。
三十年ぶりの帰国、この時ナンドは五十歳になっていた。
七年前リクセント公国の軍備の再編成を機に自分はリクセント公国から騎士団の指揮官として依頼が来た。
当時はまだ地球連邦軍の特殊部隊に所属し、ジジ・フラグと供に戦った事件が終わったばかりだった。
ジジ・フラグと供に戦った事件のお陰で世間的に名と顔が売れた事を実感していた事を記憶している。
騎士団の総長に就任したばかりのナンドが自分が駐留していた基地に現れて勧誘を受けた。
ただ一言『リクセントの為に働きたくないか?』と言われた。
弱いリクセントが嫌でリクセント騎士団から地球連邦に所属した自分だったが、本当は自分の国の為に戦いたいのだという感情を捨て切れなかった。
その感情を言葉にされた。
休暇を利用しリクセントに戻り、ナンドに会うと承諾した事を伝えた。
既に地球連邦軍に根回しはしていたらしく、リクセントへの編入は決まっていたようだった。
騎士団次長に任じられ、ナンドに『戦いにならない戦いが待っている』と言われた。
それでも戦いなのだと実感した。
「早い!」
卓を叩きながらナンドは言った。
「あと五年・・・・・・・いや、三年待っていただければ姫様の思いのままに動けるだけの軍が出来ようものを!」
「そうですな」
全く兵が育っていない。
まともに戦える兵など数える程しかいないのが現実だろう。
だが今行っている調練を続ければ優秀な将校が育ち、軍は確実に強くなる。
「儂は・・・・・・・スネークを何が何でも斃さなければならない」
「私もそのつもりです」
「未練だな」
「は?」
「儂は結局主命に反し、主命を果たす事が出来なそうだ」
「先代様の主命ですか」
「姫様が成人なさるまで・・・・と頼まれたのだ」
「ルダール殿と総長に言っていたそうですね」
「儂は軍人として武力で姫様を守りぬくと誓っていたのだ」
「守っているではありませんか」
「・・・・・・・DC戦役」
「政事に武官が口を出せなかったのは仕方の無いことです。総長の責任ではないでしょう」
「儂は暢気に病院のベッドで寝ていたよ」
「主命で治療せよと言い渡されていれば仕方が有りますまい」
「儂は儂を赦せないのだから仕方が有るまい」
「しかし未練とは?」
「儂は密かに姫様が成人なさる姿を想像していたのだ、煌びやかな衣装を身に纏い城の中で成人の儀が行われるだろう」
「美しい・・・・美しい女性へと姫様はなられますなぁ・・・・・」
「姫様がハウゼン家の当主に就かれる事で我等は改めて姫様の騎士として任命される再任の儀式がある」
「それは初耳ですな」
「リクセントの歴史でも三度あっただけだ、今代のように当主が崩御され、次の当主が任じられるまで数年の空白期間があった場合にのみ執り行われたのだ」
「そうでしたか」
「煌びやかな物だったと伝え聞いている」
ナンドが目を閉じる。
ナンドのまぶたの裏で、既に成人した姫様が微笑んでいるのだろうとルークは思った。
「儂はきっと初めの方に任命されるぞ」
「しかし、順列では総長の上には数十人上官が居られますよ?」
「儂はな十騎衆(騎死)よ、リクセント建国以来脈々と続く騎士の誉れ十騎衆。通例として十騎衆は儀式においての順列が高いのだ」
「選ばれた者は死を厭わず戦うが故にその返礼ですか」
「しかしな。余りにも果敢な男たちが就いていたため次々と戦で死に、同じ人間が同じ儀式に出れた事は殆ど無いのだ」
「良いなぁ・・・・・・私はどうしても後の方です、下級将校より上としても一体何番目になる事か」
「だがな・・・・・・・儂はその成人の儀にも再任の儀にも出る事が出来んだろう」
ふと。
ナンドの目が曇った。
姫様がナンドの出撃に頑なな事は、彼に己の晴れ姿を見て欲しいが故ではないのか。
知っていたのだろう、ナンドが自分の主人の晴れの姿を見る事を切実に待ち望んでいた事を。
「儂は病でも・・・・・寿命でも死なぬ。儂は戦人だ。戦人が死すべきは戦場とは・・・・・・思わぬか?」
「同じ事を言う友がいます」
「ああ知っているとも。あの最高の誉れ高き孤高の戦人、通り名は 怒面鷹爪 だったか」
「総長とは似ても似つかぬ無頼漢ですが」
「いや、貴様の話からは人の機微に鋭く、義に厚い漢と聞こえたが? のう 城壁?」
「懐かしい名を持ってきますな」
ルークは照れたように顔を伏せた。
「あの男がリクセントに仕えてくれるのならば儂としては嬉しいのだがな」
「ジジが訪れましたら士官を推挙致しましょう」
「来るか?」
ルークは遠くを見つめた。
壁の仕切りも越えて視線は遠くの空を見ている。
「分かりませんなぁ、雲の様な漢ゆえ」
「雲か」
「このリクセントに参上する時にはさながら暴風を孕んで参るでしょう」
ふとナンドが笑った。
自分はこの人に憧れて軍人になったのだな。
ルークは思い出していた。